シンプリー・レッドを支えた、ふたりの日本人
40代以上の音楽好きの方なら、この曲は知ってますよね。
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1990年代、イギリスを席巻したシンプリー・レッドは、ボーカルのミック・ハックネルを中心としたバンドでメンバーの入れ替わりが激しいのですが、
歴代のシンプリー・レッドの正式メンバーに「日本人が2人いた」って知ってました?
そしてその2人が、2018年8月5日(日)に、surfersにやってきます。
まずは、この人。
人っていうか、keycoいわく “world famous、神、サムライ” です。
屋敷豪太
1982年、こだま和文らとミュート・ビートを結成。1986年、MELONに加入し、ヨーロッパ公演を行った。
1988年に渡英。1989年にソウル・II・ソウルでプログラミング等[1]を担当したシングル「Keep on Movin’」が、全英チャート5位[2]を記録、続いてリリースされたシングル「Back to Life」は、全英チャート1位(Music Week)[3]、全米チャート4位(ビルボードHot100)[4]を記録するヒットとなった。
1990年、全英チャート1位(Music Week)[5]、全米チャート1位(ビルボードHot100)[6]を記録したシネイド・オコナーのシングル「愛の哀しみ(Nothing Compares 2 U)」では、全楽器の演奏とプログラミングを担当した[7]。
1991年、シンプリー・レッドにドラマーとして正式加入、ワールドツアーを行うなど同グループの円熟期を支えた。同年にリリースされたアルバム「スターズ」は全英チャート1位を12週間記録[8]。
シンプリー・レッドの活動と並行して、ネナ・チェリー、マッシヴ・アタック、アラニス・モリセット等の作品でプログラミングやアレンジを担当し、デペッシュ・モード、ビョークの楽曲ではリミックスを手掛けた。
出典元:wikipediaより抜粋
ミュートビートにはじまり、シンプリー・レッド以外のBiographyを読んでもクラクラするくらいの輝かしい略歴。。。
アルバム『スターズ』のレコーディングと2年間に渡るワールドツアーに参加し、1992年以降は、シンプリー・レッドを脱退したのですが、1998年からはプロデューサーとして再度参加します。ボーカルのミック・ハックネルに、少し停滞気味だったバンドの再興をたくされたのでしょう。
そして、1998年、シンプリー・レッド 黄金期の輝きを取り戻すために、新しいギタリストとして白羽の矢が立ったのが、この人(ってか神、サムライ)。
鈴木賢司(通称:Kenji Jammer)
10代の頃より「天才ギター少年」と呼ばれ、レコードデビュー以前にサザンオールスターズのオープニングや内田裕也のロックフェスティバルなどに出演する。
1983年、EPIC・ソニーよりミニアルバム『ELECTRIC GUITAR』でデビュー。
1985年、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ディープ・パープルの来日公演でオープニングアクトを務める。
1987年、元クリームのジャック・ブルースと共演、アルバム『INAZUMA SUPER SESSION Absolute Live!!』リリース。このアルバムで共演した際に日本国外での活動を勧められ、1988年に渡英。活動の拠点をロンドンへと移す。
1990年以降はロンドンにて本格的に活動を開始する。
1998年よりシンプリー・レッドのメンバーとして、バンド解散の2010年までレコーディングおよびワールドツアーにギタリストとして参加。引き続きミック・ハックネル/Mick Hucknallのソロプロジェクトに参加している。
出典元:wikipediaより抜粋
シンプリー・レッド最後のギタリスト、です。
今もロンドンで活動中なのですが、今年でデビュー35周年を迎え、現在は来日し、日本でツアーを行っています。
surfersには、5月のDEAL DAY Vol.2と、自身のプロジェクト Hula Hula Circus につづく3度目の登場です。
スポーツ界において、僕たちがリアルタイムで目撃できた「日本を飛び出し、単身で海外に渡って成功をおさめたパイオニア」が、野茂英雄や中田英寿だとしたら、Rock Musicの世界では、屋敷豪太とKenji Jammerだと言っても過言ではないはず。
8/5(日)は、そんな“world famous、神、サムライ” の2人以外にもクラクラしちゃうスゴ腕ミュージシャンが勢揃いする、超豪華なPartyです。
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3 The Hard Way
音楽好きの方、ぜひ!
なるさん、せっかくならミック・ハックネルも呼んじゃえばいいのに。
(2018/8/1 surfers ヒデ)